~FC2BLOGランキングに参加しています~ 優倶楽部blog2005年10月
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サッカーJリーグ・川崎フロンターレと、TVドラマをこよなく愛する男のブログです。
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【レビュー】あいのうた(3)
 いや、さすがにお弁当作りだけで1時間引っ張るのは・・・

 ・・・と途中までは思っていたのだが、結局なんだかんだ言って感動させられてしまうのだから、私はこのドラマにハマっているのだろう。本当に、ただお弁当を子供達が全部食べてくれた、それだけのことなのだが、それがこれまで「愛を知らなかった」菅野美穂にとって、どれだけ嬉しいことかというのが、脚本からも、そして菅野美穂の演技からもしっかりと伝わってくる出来になっているからこそ、こうした些細なことが、見ているこちらにもダイレクトに、感動できる場面として伝わってくるのだろう。大げさな「事件」が起こるわけじゃなくても、人間の心の機微が胸を打つ。これこそ、「物語」として素晴らしいものなのではないだろうか。

 この、「伝わってくる」要因を具体的に挙げると、何度お弁当を残されてもへこたれない菅野美穂を玉置浩二が「負けず嫌いだ」と誉め、菅野美穂が「負けず嫌いの人間は自殺しない」と言ったのに対して、「負けず嫌いだからこそ、負けたショックが大きいんだ」と玉置浩二が言うことで(セリフうろ覚えです)、それまでの菅野美穂を玉置浩二が「許して」おり、このことが、改めて菅野美穂が頑張れる要因になっている。一方でそうしたことを言う玉置浩二本人も、おそらくは死に繋がる病気を抱えており、時にやりきれない思いを胸に抱えながらも、それでも菅野美穂を許し、励ます・・・という重層構造になっていることが、(困難な状況でもなお優しさを持ち続け、それが人に伝わるという形になることで)より物語としての感動を誘うのだろう。

 ・・・最後に一言。今回の「お弁当残してたのは量が多かったから」というオチは、さすがに私も読めませんでした。(笑)
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【レビュー】1リットルの涙(3)
 このドラマで主演に抜擢されている沢尻エリカについては、「あいくるしい」に出ていた時もちょっと気になっていたのだが、なかなか良いですな。今回で言えば、パソコンで「脊髄小脳変性症」という自分の病名を知った後の錦戸亮との会話や、家に帰ってからの家族との会話など、激情を抑えようとしつつも、どうしてもにじみ出てしまう部分の感情の見せ方が上手く、これから自分が知るかもしれない運命に立ち向かおうとする姿、そして自らの運命を知った後の、これまた抑えきれないやりきれなさなど、これから「難病もの」のヒロインとして、哀れっぽくならずに強い美しさを見せてくれるのではないか、という期待を感じさせる演技だった。

 話の内容としても、今回は「告知」の段階だったわけだが、そこで単に主人公が泣き叫ぶ・・・というのではなく、先に感づいている、という設定が効果的で、沢尻エリカの「不安定さ」が、錦戸亮とのシーンでは青春ドラマのそれとしても見応えのあるものだった。今回の脚本は大島里美だったが、なかなかの仕事ぶり。
【レビュー】野ブタ。をプロデュース(3)
 今回、1時間の中で中盤くらいまでは、なんか急にタルいBGMがばんばんかかってるし、山下智久は2週間前と同一人物とは思えないくらいフツーの人になっちゃってるし(語尾を変にすれば良いってものではない)、堀北真希のトラウマのきっかけとなった父親との関係もなんかあっさり解決してるしと、なんなんだこのちんたらぽんたらした展開は!!と憤っていたのだが、文化祭当日の場面で、亀梨和也がいろんな所から引っ張りまわされるあたりのテンポの良さからは、ちょっと面白いかな、と思えてくるようになり、最後の亀梨和也の独白に繋がるまでの展開は、なかなか綺麗にまとめ上げられていたように思う。

 ・・・まあ、とはいえお化け屋敷を成功させた原動力の3人が実は「生き霊」だった・・・っていうのはなんだそれって感じではあるが。それがOKならなんでもありじゃんよ。この点、木皿泉の脚本はちょっとズルしたな、という感じ。
【レビュー】大奥~華の乱~(3)
 過去2回このドラマ、いきなり萬田久子が谷原章介の「お手つき」にされちゃったり、内山理名と田辺誠一が心中しようとしたりと、なかなかのハイペースで飛ばしてきただけに、今回はそれに比べると一気にペースダウンした感があって、かつ話の主軸が小池栄子のしょーもない策略だったこともあり、なんとなく物足りなさを覚える展開だった。

 結局、1時間かけてようやく内山理名が大奥での「戦闘モード」に入ることを示したわけだが、これなら例えば愛する夫である田辺誠一が殺された時点でそうなっていても十分な程度の変化なわけで、正直これで1時間引っ張られても・・・というところが、この物足りなさの主因であろう。また、今回は、私の期待するいわゆる「芸達者」たちの、演技での「魅せあい」が少なかったことも、その要因のひとつかもしれない。
【観戦記】10/23 J1リーグ第28節・vsレイソル(Home)
嗚呼、げに人間の欲望とは際限なきものなり。

 ・・・なにが言いたいかと申しますと、今日の勝利でついにフロンターレは6連勝を達成したにもかかわらず、ちっとも満足していない自分がいる、ということなのです。・・・って全くおんなじようなことをJ2時代にも何度か書いた覚えがあるんですが、それにしても、今の舞台はJ1ですよ。曲がりなりにも国内最高峰のリーグで6連勝し、シーズン前には夢か願望かと思われていた5位という目標順位にも手が届いているというのに、ただの勝利ではちっとも満足していない自分がいるのに、我ながら驚いている、というわけです。てな感じで、以下試合感想です。

 今日の試合の感想を一言で言えば、手抜き。この一言に尽きるだろう。まあ試合全体というよりは後半と言った方が適切かもしれないが、それにしても、前半から内容は決して良いとは言えなかった。具体的には・・・私が「内容がイマイチだった」とイチャモンを付けている試合に大抵共通することなのだが、チームとしてボールを奪う位置が明確になっていない。だからずるずるとラインを押し下げられ、中盤、特に谷口の抜けてボール奪取力の落ちたボランチのところがDFラインに吸収されてしまうのだ。今日のレイソルは波戸・明神の抜けた影響が如実にDF面で現れており、中盤の高い位置でパス交換orドリブルを始めると簡単にフリーで持ち込ませてもらえる状況だったのだが、低い位置でボールを奪ってからの攻撃では当然そうした形を作れるシーンは少なく、これが特に後半において、一人少ないはずの相手に対して、それほど多くのチャンスを作れない原因となっていた。それどころか、クリアか繋ぐのかの意思統一も明確でなかったため、中途半端なクリアorパスを相手に奪われて波状攻撃を食らう、という、一人少ないはずの相手に対して(2回目)あるまじき状態を作られていた(言うまでも無く、PKからの恥ずべき失点もこれが原因である)。

また、今日の試合全般を通して目に付いたのは、プレーの「軽さ」。1対1の局面で簡単にかわされる、あるいはフィフティボールに対する詰めが甘くてボールの支配権を渡してしまうなど、主にメンタル面にしか原因を求めようが無いプレーが散見されたのは、非常に気がかりだ。少なくとも、今日のようなプレーを繰り返していたら、来週のレッズ戦は絶対に勝てないことは間違いない。

 と、これまでかなり厳しいことを述べてきたが、一方で、確かにチームとしての成長が今日もまた感じられたのも事実だ。今日選手達の気持ちが抜けるほど楽な試合展開になったのには、小林祐の退場が影響していたのは間違いないが、一方で、仮に退場者が出ていなかったとしても、全く負ける気はしなかった、というのも正直なところだ。そして、今シーズンの開幕戦では引き分けに持ち込むのが精一杯だったレイソルとの間で、これだけの差が生まれた要因は、自分たちのサッカーに対する確信にあると言えるだろう。

 今のフロンターレは、関塚監督の「バランス」を重視するサッカーが浸透し、苦しいときでも自分達の「型」を崩さず、リトリート重視のDFを続け、前線・中盤の選手の個性を生かしたハーフカウンター&サイドアタックと、一撃必殺のセットプレーで得点をもぎ取り、出てこざるを得なくなった相手をカウンターの餌食にはめていくという戦術に、ピッチ上の選手達が明確な確信を持っている。もちろん、この確信は勝利からしか生まれないもので、その意味では勝利と確信、卵が先か鶏が先かという話になるのだが、ここで確認しておきたいのは、フロンターレは、中断前、7月の「HOT6!」を終えた時点で14位と苦しんでいたときでも、自分達のサッカーを放棄していなかった、ということだ。この頃から自分達のサッカーを続け、その精度を上げてきたからこそ、今の確信に繋がっていると、私は考える。

 ちなみに余談だが、今のレイソルに致命的に欠けているのは、ラモス「コーチ」の言う「気合」や「根性」などではなく、まさにこの要素であろう。04年途中の早野監督就任以降、少なくとも私が見るたびにこのチームはコンセプトが変わってしまっている。今日で言えば、DFラインのメンツが2人も変わることが分かっていて、なぜあれだけラインを上げるスタイルを選んだのか。特に前半、ラインの乱れを突かれて何度と無くピンチの「芽」を迎えていたが、前節と全く違う形を選んで何がしたかったのか、早野監督には合理的な説明を求めたいところだ。

 ただ、この抽象的な「確信」という要素は、勝利によって生まれているが故に、勝利が失われれば比較的簡単に崩れ去ってしまうものでもある。そうなった時に立ち戻れる明確な「場所」を作っておくためにも、今の戦い方の精度をもっともっと上げる努力を求めたい。このことの成否が、今後6試合中4試合が上位の相手という厳しい日程における戦績と、必ずしも関塚監督留任の確率が高くない中での来シーズンの戦いのカギを握っていることは間違いないだろう。
【レビュー】あいのうた(2)
 うーん、やっぱこのドラマ良いわ。見ていて思わず笑顔になってまうもの。まあ前回の「実は自殺ではなく落し物を探してました」同様、今回の「あの次男が書き足したのは菅野美穂の絵」というのも含め2回続けてオチがバレバレなのは、プロとして岡田脚本どーよという気はしないでもないけど(苦笑)、このドラマの持つ雰囲気の良さは、それを補って充分に余りあるものだ。

 今回も、基本的には「菅野美穂が玉置浩二の家族と、その周囲の人々によって次第に『愛』に目覚めていく」という展開そのものには変わりなかったし、おそらくこの展開はこれからも変わらないだろうが、初回の段階では、生まれて初めて感じた「愛」にただ戸惑っていた(その姿がコミカルだったわけだが)菅野美穂が、少しずつではあるがそれを受け入れ始め(ふと見せる笑顔が本当に穏やかなものになっている。この辺の微妙な変化をしっかりと見せる菅野美穂の演技はさすがだ)、自らそれを掴もうと変わり始めている様子が丹念に描かれていて、納得の出来だった。ただ、この変化だけで1クールもたせるのはさすがに厳しいと思うので、これにどんな要素を加えて物語全体を作り上げていくか、そこは岡田恵和の手腕に期待したい。
【レビュー】野ブタ。をプロデュース(2)
 今回は、正直かなりがっかりだったかも。特に失望させられたのは岩本仁志の演出で、初回には漂っていた「ヘン!」なオーラがまるでなく、単なるフツーの「学園ドラマ」のテイストに。映像的には亀梨和也と山下智久が堀北真希を「プロデュース」する場面の見せ方に工夫がなかったし、BGMにも工夫がなく、「楽しげな場面」と「切ない(or悲しい)場面」の2パターンを使い分けているだけ。まさか1話でもう息切れというわけでもないだろうが、初回はなかなか面白い雰囲気を出せていただけに、より失望感が強い。

 このドラマ、何らかの形で新しい切り口がないと、単にいじめられっこが変わっていく過程を延々と1クールかけてお届けするだけの、見ていてしんどいドラマになりかねない。その意味で、今回の出来はかなり心許ないものだった。
【レビュー】1リットルの涙(2)
 うーん、やはり王道中の王道というか、悪く言えばベタでーす@安田大サーカスというか・・・。ただ、正直どうかと思うのは、1時間の中で誰かしらが涙を流しているシーンが多すぎて、「感動」のインフレ状態になっていること。確かにタイトルを見ても話の筋を見ても、視聴者の涙を絞りたいのは分かるのだが、あれだけ「感動」や「悲しみ」を安売りされると、見ている側としても麻痺してしまう。また、村上正典の演出もホント正統派だしねぇ・・・。なんというか、1時間見ていて「ハッ」とさせられる部分に、どうも欠けているのがちょっと残念だ。

 あと、話の展開そのものとは関係ない部分だが、藤木直人の医師の演技は、あんな暗くて冷たい医者じゃ患者が不安がるだろという気がしてならない。まだまだ若い患者の、親に病気を告知するときとかは、事実を受け入れさせるために冷酷な部分があっても良いとは思うが、全編それで押し通されると、ちょっと違うんじゃないのという気がする。
【レビュー】大奥~華の乱~(2)
 今回もやはり、目に付いたのは「芸達者」の面々の演技。余貴美子の死神のような「のっぺりとした冷たさ」は際立っていたし、江波杏子の迫力はさすが(余談だが、この役どころ、「大奥~第一章~」では星野真理がストーリーテラーの役割として若かりし頃を演じていたのと同一人物である。いくらなんでも変わりすぎだろう)。また、谷原章介の、「救いがたいほど愚かな男」の演技も、さすがと言うべきもの。「なぜ、阿久里は死んだのじゃろうのう」と言ったときの「天然」ぶりは、完全に計算されたもので、そりゃこんな愚かしさを見せ付けられたら、内山理名も複雑な気分になろうというものだ。・・・スタート前は、藤原紀香や小池栄子の演技を心配していたのだが、はっきり言ってこの2人と内山理名との対立は、見た目派手でもちっとも物語の主軸ではないため、演技力云々は全く問題になっていない。

 で、その物語の中身だが、浅野妙子の脚本は、「大奥~第一章~」に続き、女の「喪失感」や「屈辱」を背景に、「勝ち・負け」をはっきり意識した作りになっていて(早い話、不幸のどん底を味わったヒロインが、自らの力で大奥の荒波を乗り越えていく・・・ということ)、前述のド派手な対立劇のような分かりやすさと、メッセージを伝える部分のバランス、さじ加減が相変わらず上手い。今回の展開では、最後の田辺誠一の言葉で、内山理名がこれからこの「喪失感」を背に強くなっていくであろうことが自然と示唆されていて、感心させられた。
【レビュー】危険なアネキ(1)
 あー、イライラする!!

 ・・・しょっぱなから怒りモード全開で大変申し訳ないのだが、何がイライラするって、このドラマが面白くなる要素をことごとく自ら潰しているからで、なんで森山未來はほとんど何の根拠も無く、姉(伊東美咲)も父(宇津井健)も故郷のことも嫌わなければならないのか。理由が「田舎が嫌いだから」って・・・。天真爛漫、自由奔放な姉に振り回されて弟が嫌がる、という展開なら理解できるのだが、こうした極めて動機付けの浅い理由を基に、森山未來がほぼ一方的に伊東美咲を嫌っているが故に、2人のシーンがちっとも面白くならないのだ。あげく高嶋政伸や児玉清に教えられて初めて姉の優しさに気づく(しかも、弟には見せない部分ならともかく、あれだけ普段から全面に出してるのに・・・)なんて、登場人物のこれまでの積み上げを無視しているとしか思えない。なんですか、この2人は「あいのうた」の菅野美穂ばりに記憶喪失なんですか??

 さらに、金子茂樹という新人のショボい脚本を(鈴木一真の役なんか、やらされた役者の方が可哀想というものだ)、久保田哲史の演出がさらにつまらなくしているのが辛い。コメディタッチのシーンは凡庸でちっとも笑いに繋がらないし(姉弟の掛け合いなんか、カット割りを速く見せれば2倍も3倍も面白くなったのに)、ちょっとシリアスなシーンになると「ムコ殿2003」でも見せたタルいBGM全開で、見ているこっちの気持ちを萎えさせてくれる。

優しいけど奔放で、心配過剰な姉に振りまわされる弟・・・なんて、あだち充漫画のようなポップで暖かいドラマをいくらでも作れそうなものだが、作り手が自らその可能性を潰しているのが歯がゆくてならない。森山未來なんかも、「さよなら、小津先生」の頃から好きな俳優なのだが・・・。あれでは演技力も生ききらないというものだ。本当にもったいない。
【レビュー】あいのうた(1)
 これは・・・ハマったかも。さすが岡田恵和、こういう「人の愛」(必ずしも「男女の愛」ではなく!)の機微を描かせたら間違いなく「名手」だ。そしてまた、それぞれの役柄が出演者にぴったり。菅野美穂はこういう「ねじれた人」は得意中の得意だし、玉置浩二のムダなほどこぼれる笑顔は、「愛」に溢れたこの人物に現実味を与えている。だからこそ、菅野美穂が玉置浩二の家に溢れる「愛」に触れた時の新鮮な驚き(それこそ人間としてリセットされたような)が素直に胸に響いてきて、私の心を打つのだろう。

 そしてまた、大谷太郎の演出も素晴らしい。同じ枠で言えば「共犯者」でもその手腕を存分に発揮していたが、今回はそれとは全く違ったテイストで、菅野美穂の、じめっと描いたら救いようの無いほど重くなってしまう「過去」を、むしろ軽く笑いに変えるようなくらいさらっとした軽快なテンポで描いたのも見事だし、歯ブラシが並ぶ洗面所の鮮やかな光(菅野美穂のわずかな笑顔が映える!)、そしてラストのこぼれるばかりの夕焼けの美しさと、軽やかで優しいファンタジーの世界を第1話から見事に作り出していて、100点の出来。

 これは、これからの展開が楽しみだ。
【レビュー】野ブタ。をプロデュース(1)
 うーん、これはちょっと、難しいかな・・・。

 というのも、「変!」で新しめのドラマを作ろうとしていることは伝わってくるのだが、例えばいじめられる側の堀北真希の「トラウマ」がごくごく安易というかショボいものだったり、普段はクールを装っている亀梨和也が、ヤナギの木に執着していることのバランスが、「高校生世代の不安定さ」というより「アンバランス」な印象を与える結果になっていたり(それはこの執着をあまりに分かりやすく、前面に押し出していることによるだろう)と、実はあんまり大したことやってないんじゃ・・・という気がしてしまうからだ。

 とはいえ、私は新しく「変!」なドラマ自体は嫌いじゃない。というかむしろ好きだ。なので、頑張って上手く転がしていって欲しいところ。

 あと、一つだけ気になったのだが、山下智久の演技がダイヴ・トゥ・ブルーする前の窪塚センセイそっくりなのはいかがなものだろうか。無意識だとしたら山下智久の精神状態が大変懸念されるし、分かってパクってるとしたら・・・それはちょっと、コメントしづらいです(笑)
【レビュー】1リットルの涙(1)
 なぜだかは良く分からないが、「オトナ」になるにつれて、こういう「難病もの」にはあまり手が出にくくなる傾向があるようで、私もご多分にもれずちょっと「かったりーなー」と思ったりしていたのだが、その原因は、おそらくこの手のドラマのパターンがおおよそ決まっていること(病気を知らされてからの「拒絶」→「自棄」→「絶望」→「受容」という過程に変化を出すことは難しい)と、どうしても「死」の影がちらつくなかでじめっとした質感の物語になりがちだからなのだろう。要するに、話の筋がおおよそ分かってしまっている中で、延々と続く陰鬱な物語を見ようと思うのか、ということだ。

 ただ、そうした中でも私がとりあえずこのドラマを見てみようと思ったのは、「あいくるしい」でちょっと注目していた沢尻エリカが主演に抜擢されたことと(この火9枠での10代の抜擢は「神様、もう少しだけ」の深田恭子以来ではないだろうか)、あとは経験豊富な江頭美智留の脚本が、どれだけ「ディテール」にこだわって描けるか、というところに注目していたからなのだが、今回を見る限りでは、家族の描写を始めとして、物語として安定感は感じたが、村上正典の演出が相変わらずオーソドックスなこともあり、それほどオリジナルな要素は感じなかった。

 あと、ラストで、原作者である女性の映像を使うのはいかがなものか。これはあくまでTVドラマであって、ドキュメンタリーや再現VTRではないはずだ。確かに突然難病にかかって闘病生活を送り、亡くなった人物の映像は心を打つだろうが、それをフィクションである物語の「感動」に利用するのは、ドラマの作り方として真摯な姿勢とは言えないと私は考える。
【レビュー】大奥~華の乱~(1)
 内山理名・藤原紀香・小池栄子という主要キャストのメンツを見て出来が大変懸念された「大奥」最終章だが、蓋を開けてみれば、江波杏子・余貴美子・火野正平に平泉成と、脇に一癖も二癖もある演技派が揃っていたため、少なくとも初回を見る限りでは、グダグダにはなっていなかった。特に、初回いい味出していたのは平泉成。「主君に忠実だけど野心の無い平凡な人」の哀しみが見事に体現されていて、さすがだな、という感じだった。

 ただ、話の筋そのものとしては、こういってはアレだがあんだけ年の行った萬田久子を谷原章介が無理矢理「お手つき」にする・・・という展開(しかも長年尽くしてくれた重臣の妻なのに)は、さすがにちょっと引いた。そりゃ確かに「修羅場」なんだが・・・。林徹の演出は、もはやこのドラマの世界を完璧に掴んでいるもので、安心感があったのだが。

 肝心のメイン3人では、小池栄子の目を剥く演技がホラーそのもののイロモノぶりだったのと、主演・内山理名が、感情が高ぶると金切り声になってしまうのが気になったが、今回ほとんど出番が無かった藤原紀香も含めて、まだ真価が分かるのはこれからかな、という感じ。
【レビュー】鬼嫁日記(1)
・・・10月クールのレビュー一発目は、このドラマから。

 プロデューサーや演出が「アットホーム・ダッド」と同じ、舞台設定も同じ街が舞台・・・ということで、まー見やすいドラマなんだろうなー、とぼんやり考えていたら、なんとまあ見やすいこと。

 ただ、これもまた「アットホーム・ダッド」と同じなのだが、話として先が見えているというか、あっという間にパターン化地獄に陥りそうなのがちょっと辛いところ。確かに観月ありさの暴君ぶりはそこそこ笑えるし、ゴリの受けの芝居はまんまコントのそれで楽しめるのだが(その意味で言うともうちょっとアドリブがあっても良い気はする)、「連続ドラマ」として見た時に、1クール見続けた先に何があるのか・・・という点には疑問が残る。

 「アットホーム・ダッド」の場合、それでも阿部寛が次第に「主夫」の役割、主夫(婦)業の価値に気づいていく・・・という要素があったのだが、このドラマの場合、それにあたるのが何なのか、初回を見ている限りではつかめなかった。火10枠で脚本が尾崎将也というあたりも、その点が見えてくるかどうかに不安が募る要因ではある。

 毎回シチュエーションを変えて観月ありさが暴走していき、ラス前あたりでゴリがキレて家出、最後は大団円・・・という展開が今から目に浮かぶのだが、実際そうなったら私は途中で脱落しているだろう。
スタートダッシュ。
・・・スタート記念ということで、とりあえず書き溜めしていた分を一気にアップしてみたんですが、なんか我ながら文章量(と改行の無さ・・・)に圧倒されるものがありますね。

まー段々と工夫していこうかな、と思っている今日この頃です。
【批評】ドラゴン桜(05年7月クール)
 この作品の特徴は、「偏差値30台のバカ高校から現役東大合格」という明確な「ゴール」が設定されている中で、それを目指して山下智久・長澤まさみら生徒達が努力していく様子を、受験テクニック的なものを次々と繰り出しながら、徹底的に「軽く」見せていることである。この作品全体に漂う「軽さ」は、塚本連平を始めとする演出陣の、MMJっぽい(この製作会社はかつて、テレ朝月8枠で学園ドラマをよく作っていた)良くも悪くもお手軽な作りの演出によるところも大きいが、秦建日子の脚本なども合わせて考えると、この作品は作り手全体が、ライトな作りを目指して作っていたであろうことが伺える。それは例えば、主演の阿部寛が社会の現実を突きつけるような、おそらくこれまでの「学園ドラマ」ではタブーとされていたと思われるようなことを決めゼリフ的に言うことで、物事が比較的「簡単に」動いていったりすることとか、もっと端的に言えば毎回ほぼ必ず「受験テクニック」的な内容を織り込み、しかもそれをCGなども使いながら、バラエティ番組におけるVTRのような作りで見せたりするところに現れているが、これらの作り方は、それが全編に渡って徹底されていることで、1時間を通してとにかく「見やすい」ドラマを作ることに成功していた。

 ただ、この作品は「軽さ」の中にも、阿部寛の社会と自分との関係に対する冷静な分析や、今の教育や大人の「建前」に対するアンチテーゼとしてのメッセージが織り込まれていて、決して「浅い」内容の作品とはなっていない。残念ながら、生徒達の周辺環境、特に親との関係については陳腐なものが多かったため、こうした「深み」の感じられる内容は、主に阿部寛の出てくる場面に限られていたが、それでも、主演の阿部寛のさすがの演技、人生の渋みを知った上で、それでも自分なりの希望を捨てないという役どころの、豪快な強さと計算された緻密さ、さらにほんのわずか織り込まれる暖かさというバランスの絶妙な使い分けの力もあって、大変魅力的なものになっていた。「軽さ」との両立という意味では、少なくとも一定程度満足できるものになっていたと言えるだろう。

 しかし、前述の生徒達の親子関係のように、やはり「軽さ」が「浅さ」に転化してしまっていた場面も散見された。それは物語のクライマックスにおいても感じられ、単調な受験の合否を追う展開に変化をつけるためであろうが、長澤まさみの母親である美保純が倒れることで山下智久が腕を骨折したり、中尾明慶が弟の策略で腹痛を起こしたりと(ちなみに、この「優秀だが性格の歪んだ弟」は物語上完全に便宜的な存在であり、最後も結局「東大に不合格になった」というだけでその後何のフォローもされていなかった。こうした登場人物の存在そのものが作品に対して減点材料となるものだ)、試験を受ける上での「障害」を作為的に作り出すことで話を盛り上げようとする姿勢は、あまりに安易なものと言わざるを得ない。

 この作品、ジャンルとしてはいわゆる「学園ドラマ」でありながら、メインテーマは教師と生徒の関係や、生徒の内面ではなく、あくまで「東大合格の成否」である。従って、必然的にそのための学習や試験といった、ドラマとして表現しづらいシーンが多かったのだが、それをライトな作りでエンタテインメントとして作り上げた脚本・演出を始めとする作り手のセンスは、高く評価できる。ドラマとしての完成度には物足りなさもあったが、見ていて「楽しめる」作品だったこと、そして明確な「ゴール」が達成できるか否か、という点で「先が気になる」作品でもあったことは、この作品の印象を大変良いものにしている。

支持率:22.5% 評価:B
【批評】いま、会いにゆきます(05年7月クール)
 序盤の映像の美しさは、それだけで感動できるほどのもの。はかないファンタジーの世界を見事に作り上げ、一気に物語に引き込むだけの力を持っていた。

 ただ、そうした映像のアシストを受けたはずの物語がいただけない。「世界の中心で、愛をさけぶ」を見ても分かるように、映画化された原作=2時間程度で収まる分量の物語を、3ヶ月1クールの連続ドラマとして描く場合、ポイントになるのは物語の豊富化の成否である。友人や親との関係を丹念に描いて成功した「世界の中心で、愛をさけぶ」に対して、この作品では、特に中盤以降、ミムラと成宮寛貴の「過去」に頼りすぎ、かつその「過去」の物語が陳腐な「初恋物語」であったため、作品に停滞感が漂う結果となってしまった。一方で、記憶をなくして甦ったミムラと、成宮寛貴がイチから関係を再構築していく様子の描写は、ごく貧弱で通り一遍の印象が拭えず、三田佳子演じるミムラの母の存在も、成宮寛貴へ疑惑の目を向けることで、彼がミムラを守ろうとすることの困難さを強調するためのものに過ぎず、三田佳子の目から見たミムラとの「絆」はほとんど伝わってこなかった。総じて、飯野陽子と篠崎絵里子の脚本は、力不足が目立ったと言わざるを得ない。

 冴えない脚本に引きずられるように、当初は極めて高いクオリティを維持していた演出も、安易な「自然」の映像に頼るなど、物語の「世界」を作り出す努力の不足が現れ始め、レベルダウンが目に付くようになった。一方でこれは、メインである平野俊一以外の人間が演出を担当する機会が多かったことも原因の一つであろう。それがこの作品の思わぬ視聴率の低迷によるものかどうかは定かでないが、この作品におけるサブ演出の面々(山室大輔・大岡進)は、作品のレベルアップに貢献していたとは言いがたい。

 主演のミムラ・成宮寛貴の2人は、「小学生の子どもを持つ親としては明らかに若すぎる」という、キャスティングの時点でのハンデを抱えながらも、むしろカップルとしての初々しさを前面に出すことで、奇をてらわぬひたむきさを見せていて好感が持てたし、そのことは、内容そのものは陳腐だった回想シーンを演じた黒川智花・福本有紀も同様だ。
 前述したように、この作品が、素晴らしい映像によるアシストを受けながらも、「名作」になり損ねたのは、物語の豊富化に失敗したことによる部分が大きい。陳腐な「過去」に固執するよりは、ミムラと成宮寛貴が、「もう一度恋をしていく」展開を丹念に描いた方が、より物語の世界観が生かせたのではないか、と私には感じられてならない。その意味で、「いま」をもっと描いて欲しかった、ということが、この作品に対する感想として強く残った。

支持率:25.5% 評価:A
【批評】女王の教室(05年7月クール)
 小学6年生の子供たちに容赦なく社会の「現実」を突きつけ、冷酷に罰を与え、突き放す。天海祐希演じるこの作品の主人公、阿久津真矢の振舞いに対しては、近年のTVドラマに対しては珍しいほどの賛否両論が巻き起こった。ただ、私から見れば、この議論は的外れのもののように感じられる。この作品に対する批判の多くは、阿久津真矢の振舞いに対するものであり、そしてそうした言動を「TVドラマとして放映するのは許せない」というものがほとんどであった。だが、これらの批判は、2つの点で大きな間違いを犯していると言わざるを得ない。一つには、主人公の言動を、作り手は全て是として描いている、という勘違いで、作品冒頭でも「悪魔のような鬼教師に小学6年生が戦いを挑んだ1年間の記録」と述べられているように、この作品の主題は、明らかに主人公の存在に対応する中での子供たちの成長にあり、その過程では、必ずしも主人公・阿久津真矢の言動を一方的に正しいものとしては描いていないし、また、子供たちに対する「壁」となる、という意味では、必ずしも正しくある必要性すらない。そうした作り手の意図を理解せずに「主人公の振舞いは正しくない」と言っても、作り手としては「ええ、そのとおりです」としか言いようがないだろう。

 もう一つの間違いは、こちらの方がより大きな問題だが、このように、自分が「正しくない」と考える言動を、描写することそのものを否定することの誤りである。これは表現の自由そのものに関る問題であるため、明確に述べておくが、どのような表現技法であれ、それが合法的なものである限り、表現することそのものを否定することは、近代憲法が保障する基本的な人権を維持し続ける上で不可欠な、表現の自由を侵すものであり、許されるべきではない。このことは、我々の生きる社会の基本的な価値を守るということであり、決して揺るがせにしてはならないことである。

 こうした表現技法への賛否両論よりも、TVドラマの内容への賛否、あるいは評価を語る上で、より本質的な問題は、表現技法そのもの、この作品で言えば阿久津真矢の子供たちへの振舞いそのものではなく、その表現技法を用いて何を描こうとしているか、ということである。この点、「鬼教師との戦いの中で、子供たちが成長する様を描く」という、この野心的かつオリジナリティある内容を、しかも原作のある作品がこれだけ幅を利かせている2005年現在においてオリジナルの脚本で描いたこの作品の根本的な姿勢を、私は高く評価したい。しかもその内容も、天海祐希を徹底した「悪」の存在として描きながら、その「悪」との対決の中で成長していく子供たちの様子を、主に志田未来に焦点を当てながら段階を経て描いており、また、物語がクライマックスを迎えたところで天海祐希が実は「悪魔」ではなく「人間」であり、かつ常に子どものことを考える素晴らしい「教師」である、ということが分かる、という展開も、ドラマティックで良く練られたものである。脚本を務めた遊川和彦の、さすがはベテランというべき手腕には、素直に脱帽である。

 また、大塚恭司メインの演出も、天海祐希が現れた途端に画面に青みが差す演出など、天海祐希の「悪魔性」を見ている側にも強く意識させる演出が効いており、物語を効果的に煽っていた。「共犯者」などでもその胎動が見られたが、日本テレビの演出陣には、自らの力で新たに局の「伝統」を作ろうとするような、新しい息吹が感じられ、引き続き期待したいところである。

 この作品が成立するためには、天海祐希の存在は絶対不可欠のものであったことは、今更私があれこれ言うまでもないだろう。笑顔一つ見せない冷酷な教師の、人間離れした悪魔的な存在を演じきるには、演技力はもちろん、美貌や長身といった容姿まで含めて、天海祐希という俳優の全存在が必要であった。また、この作品における、志田未来を始めとした子役達の好演の貢献もまた、小学6年生の内面的な成長を描くというこの作品の主題を表現するために、必要不可欠なものだった。天海祐希と戦うことで「強さ」を身につけた志田未来の、意志の強い目を見たとき、私は、もはや彼らを「子役」という概念で括ることが適切ではないのかもしれない、という意を強くした。

 ただ、この作品には一点、明確な失敗があった。それは第7話、天海祐希によって追い詰められた少女が、夜中の教室で刃物を持って暴れる、というシーンで、それまでばらばらだったクラスの一同が、志田未来らの呼びかけに応えてなぜか全員集合し、しかもその事件の「解決」を共有することで一気にクラス全員が結束する・・・という展開である。これは明らかに、志田未来らの地道な努力によって、クラスが一致団結する、という結論に至るまでの過程をすっ飛ばした脚本の凡ミスであり、このことによって、その後、一致団結したクラスが天海祐希に立ち向かう・・・という、クライマックスに向けた展開に説得力がまるでなくなってしまった。この作品に批判すべき点があるとすればこの点であり、人間の感情が、さしたる理由もなく簡単に動いてしまうというのは、ご都合主義的との批判を免れ得ないところであろう。

 ただ、こうした失敗を踏まえてもなお、この作品のオリジナリティと、天海祐希との1年間の「戦い」を経て成長した子供たちが、天海祐希の下を巣立っていく様の感動は、高く評価すべきものと私は考える。TVの連続ドラマの歴史の中で、優れた作品の一つとしてこの作品を位置づけることに、私には何の躊躇もない。

支持率:26.6% 評価:A
9/24 vsアルディージャ(home)観戦記
 前節の69戦に続き、決して誉められた内容の試合ではなかった。これまた前節に続いて「それでも勝てたことが進歩」と言いたいところだが、同じことを繰り返していては進歩とは言えない。3連勝の今だからこそ、あえて言っておこう。今のフロンターレはチームとしてのボールの奪いどころ、プレスのスタート地点を、改めてもっと明確にする必要がある。内容が悪くても、悪いなりに勝てている今は良いが、勝てなくなったときにチームの拠り所となるのは、自分達の目指すサッカーへの確信とその深度であり、チームが明らかに良い流れに乗っている今のうちに、これを磨いていくことが、現在の好順位を保たせ、結果としてリーグ戦での上位進出と、来期以降へJ1で戦う上での確かな基盤を確保することに繋がると、私は考えている。

 試合展開をふり返ると、前半フロンターレは、斉藤をワンボランチに置き、中盤に4枚を並べて山下をワントップに据える、アルディージャの4-1-4-1システムに対して、3バック及び中盤のスライドとマーキングがはっきりせず、ずるずるとポジションが下がってしまい、アルディージャに主導権を渡してしまう。低い位置でのボール奪取から速攻をしかけようとしても、ジュニーニョにボールが入ると徹底した挟み込みで対応するアルディージャの相変わらず組織的なディフェンスに打つ手がなく、やむを得ず遅攻から外を崩す形しか取れなかった。ここでのパス交換などにはチームとしての成長を感じたが、やはり相手の守備が構えた段階から外を崩す攻撃では限界があり、安易なクロスはひたすらトニーニョにはじき返されるという、去年までのJ2でも良く見たアルディージャ戦のいつものパターンに。全くもって、今日先制を免れたのは相澤のスーパーセーブと、山下を初めとして全員どん底状態のアルディージャ攻撃陣の不出来に助けられてのことでしかなかった。

 後半、立ち上がりは前節同様、前からのプレスが多少好転していたが、それもそろそろ切れ掛かってきたかな・・・というところで、中村のスーパーロングパス→我那覇の流麗トラップからカンペキシュートという、書いているだけで惚れ惚れしてくる素晴らしいワンプレーで先制。その後、関塚監督の必殺技・猛抗議でアルディージャの集中が切れた所を逃さず、再開後の好結果の大きな要因の一つである「セットプレーからのゴール」が今日も決まり(マルクスのプレースキックは再開後素晴らしいレベルを維持している)、そろそろ勝ちの気配が強く漂いだす展開に。

 ただ、ここからが良くなかった。追加点後、しばらくは当然フロンターレに流れが来ていたにもかかわらず、関塚監督はまだ25分近く残っている段階でなぜか我那覇を下げ、早くも佐原を投入。しかし、この明らかに「守備モード」に入る采配は完全に裏目で、まだ時間があるにもかかわらずフロンターレはいとも簡単に中盤のゾーンを放棄し、守備ブロックを下げてしまう。当然半分死に体だったアルディージャは文字通り息を吹き返し、ゴール前で守るシーンが増える結果に。島田のFKによるゴールは蹴った本人を誉めるべきだろうが、その原因を招いたのは明らかに早々と守備に入った関塚監督の采配にあったと言わざるを得ないだろう。

 結局そのまま2-1で逃げ切ることが出来たわけだが、今ひとつだった試合内容の上に終盤のバタバタぶりも加わって、勝ったわりに表情は今ひとつという結果になってしまった。

 繰り返しになるが、今勝てているのは、明らかにチームの進歩によるものであり、そのことは高く評価したい。と同時に、現在の内容のままでは、この好調を維持できないであろうこともはっきりしている。この好調のうちに、チームとしての組織面(特に、整備されてきたDFラインでの守備にプラスする形での、中盤から前の守備組織の整備)を強化し、昇格1年目にして8位という、現在の素晴らしい順位を維持し、願わくはそれを向上させるためのさらなる「進歩」を期待したいところだ。
TVドラマの評価基準(ドラマ批評を読む前にお読みください)
私は、過去HP上で3ヶ月1クールのTVドラマの批評を行っていたとき以来、以下のようなやり方で評価を行っています。

「支持率」・・・文字通り、私がそのドラマをどの程度「支持」しているかを示す割合。簡単に言うと、そのドラマに対する私の中での評価を視聴率に換算するとどれくらいか、ということを表したもの。

SSランク:支持率35%以上のドラマ。記憶に一生残りつづけるよう      な、私にとっての(以下同様)「傑作」。

Sランク:支持率30%以上のドラマ。その1年を代表するような「名     作」。

Aランク:支持率25%以上のドラマ。そのクールを代表する「秀       作」。

Bランク:支持率20%以上のドラマ。1時間見て素直に楽しめる「佳     作」。

C+ランク:支持率17%以上のドラマ。連続ドラマとして合格点の       「良作」。

C-ランク:支持率13%以上のドラマ。一応、ドラマとして最低限の      ラインは超えている。

Dランク:支持率10%以上のドラマ。問題点多し。ただ、良い所が無     いわけではない。

Eランク:支持率10%未満のドラマ。論外。あるいは、ドラマの内容     にどうしても私が賛成できない場合。


・・・今後、このblogでTVドラマについて評論する場合、引き続きこの基準で行っていきますので、よろしくお願いします。
ごあいさつ。
こんばんは。
「優倶楽部blog」、始めてみました。
これからどうなっていくのやら・・・。
お楽しみに!
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