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【批評】女王の教室(05年7月クール)
 小学6年生の子供たちに容赦なく社会の「現実」を突きつけ、冷酷に罰を与え、突き放す。天海祐希演じるこの作品の主人公、阿久津真矢の振舞いに対しては、近年のTVドラマに対しては珍しいほどの賛否両論が巻き起こった。ただ、私から見れば、この議論は的外れのもののように感じられる。この作品に対する批判の多くは、阿久津真矢の振舞いに対するものであり、そしてそうした言動を「TVドラマとして放映するのは許せない」というものがほとんどであった。だが、これらの批判は、2つの点で大きな間違いを犯していると言わざるを得ない。一つには、主人公の言動を、作り手は全て是として描いている、という勘違いで、作品冒頭でも「悪魔のような鬼教師に小学6年生が戦いを挑んだ1年間の記録」と述べられているように、この作品の主題は、明らかに主人公の存在に対応する中での子供たちの成長にあり、その過程では、必ずしも主人公・阿久津真矢の言動を一方的に正しいものとしては描いていないし、また、子供たちに対する「壁」となる、という意味では、必ずしも正しくある必要性すらない。そうした作り手の意図を理解せずに「主人公の振舞いは正しくない」と言っても、作り手としては「ええ、そのとおりです」としか言いようがないだろう。

 もう一つの間違いは、こちらの方がより大きな問題だが、このように、自分が「正しくない」と考える言動を、描写することそのものを否定することの誤りである。これは表現の自由そのものに関る問題であるため、明確に述べておくが、どのような表現技法であれ、それが合法的なものである限り、表現することそのものを否定することは、近代憲法が保障する基本的な人権を維持し続ける上で不可欠な、表現の自由を侵すものであり、許されるべきではない。このことは、我々の生きる社会の基本的な価値を守るということであり、決して揺るがせにしてはならないことである。

 こうした表現技法への賛否両論よりも、TVドラマの内容への賛否、あるいは評価を語る上で、より本質的な問題は、表現技法そのもの、この作品で言えば阿久津真矢の子供たちへの振舞いそのものではなく、その表現技法を用いて何を描こうとしているか、ということである。この点、「鬼教師との戦いの中で、子供たちが成長する様を描く」という、この野心的かつオリジナリティある内容を、しかも原作のある作品がこれだけ幅を利かせている2005年現在においてオリジナルの脚本で描いたこの作品の根本的な姿勢を、私は高く評価したい。しかもその内容も、天海祐希を徹底した「悪」の存在として描きながら、その「悪」との対決の中で成長していく子供たちの様子を、主に志田未来に焦点を当てながら段階を経て描いており、また、物語がクライマックスを迎えたところで天海祐希が実は「悪魔」ではなく「人間」であり、かつ常に子どものことを考える素晴らしい「教師」である、ということが分かる、という展開も、ドラマティックで良く練られたものである。脚本を務めた遊川和彦の、さすがはベテランというべき手腕には、素直に脱帽である。

 また、大塚恭司メインの演出も、天海祐希が現れた途端に画面に青みが差す演出など、天海祐希の「悪魔性」を見ている側にも強く意識させる演出が効いており、物語を効果的に煽っていた。「共犯者」などでもその胎動が見られたが、日本テレビの演出陣には、自らの力で新たに局の「伝統」を作ろうとするような、新しい息吹が感じられ、引き続き期待したいところである。

 この作品が成立するためには、天海祐希の存在は絶対不可欠のものであったことは、今更私があれこれ言うまでもないだろう。笑顔一つ見せない冷酷な教師の、人間離れした悪魔的な存在を演じきるには、演技力はもちろん、美貌や長身といった容姿まで含めて、天海祐希という俳優の全存在が必要であった。また、この作品における、志田未来を始めとした子役達の好演の貢献もまた、小学6年生の内面的な成長を描くというこの作品の主題を表現するために、必要不可欠なものだった。天海祐希と戦うことで「強さ」を身につけた志田未来の、意志の強い目を見たとき、私は、もはや彼らを「子役」という概念で括ることが適切ではないのかもしれない、という意を強くした。

 ただ、この作品には一点、明確な失敗があった。それは第7話、天海祐希によって追い詰められた少女が、夜中の教室で刃物を持って暴れる、というシーンで、それまでばらばらだったクラスの一同が、志田未来らの呼びかけに応えてなぜか全員集合し、しかもその事件の「解決」を共有することで一気にクラス全員が結束する・・・という展開である。これは明らかに、志田未来らの地道な努力によって、クラスが一致団結する、という結論に至るまでの過程をすっ飛ばした脚本の凡ミスであり、このことによって、その後、一致団結したクラスが天海祐希に立ち向かう・・・という、クライマックスに向けた展開に説得力がまるでなくなってしまった。この作品に批判すべき点があるとすればこの点であり、人間の感情が、さしたる理由もなく簡単に動いてしまうというのは、ご都合主義的との批判を免れ得ないところであろう。

 ただ、こうした失敗を踏まえてもなお、この作品のオリジナリティと、天海祐希との1年間の「戦い」を経て成長した子供たちが、天海祐希の下を巣立っていく様の感動は、高く評価すべきものと私は考える。TVの連続ドラマの歴史の中で、優れた作品の一つとしてこの作品を位置づけることに、私には何の躊躇もない。

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